teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助 youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


( ̄ー ̄)

 投稿者:チミーニ  投稿日:2013年 7月 8日(月)23時51分48秒
  いや、もう、なんと言いますか、
おめでとうございます!
ですよ。

良かったなあ。
 
 

ご無沙汰しておりまする。

 投稿者:よっしー  投稿日:2013年 7月 7日(日)16時00分22秒
  昨日は事もあろうに津久井芳明の36回目の誕生日。
その歳になってありがとうといいのも変な話。
まぁ、それはいいとして…。
昨日の朝5時半頃に寝てるところを相方に起こされました。その日は野球部が朝から試合にいくので、寝坊したと思って直ぐに布団から起き上がったら、「お腹痛いから病院に行ってくる」って一言。
その後寝ぼけてたら6時10分過ぎに電話がかかってきたけど、全く気づかず、6時40分頃にかけ直す。そしたら「生まれたよ~」だって。何がなんだからわからず、もう一回確認したら男の子の泣き声が。
予定日よりも20日早く、名前も何も考えてなかったし、陣痛始まって立ち会うもんだと思ってたら直ぐに出てきたようです。
全てにおいて早すぎです。
2500グラムだけど、まぁ元気で何より。
 

近況報告。(愛をこめて☆)

 投稿者:マーチ  投稿日:2012年12月24日(月)00時55分20秒
  57期ベイベ!
みんなおひさしぶりだよ~ お元気ーーっ??

マーチ、きのう武蔵野のクリスマス演芸会2012に行ってきました☆

養成所は現在なんと「66期生」になっていたであります!(キャーッ!!)
研究先生たちが頑張っててさ~
講堂の天井とか見ながらいろんなことしんみり思い出しちゃったっけ。←静岡弁

我々も演芸会前、講堂でうとうとしながら練習したなーとか(うとうとしてたの私だけだったらごめん)、MDバンドが浜田省吾のアノ曲を演奏してくれて超懐かしかったりとか。(笑)

そして何よりも、仕事に無力感を感じて「なんで自分はこの仕事がやりたかったんだっけ?」と日々考え込んでしまうような今の自分と、
養成所時代「虐待防止のために働きたい」と真剣に思っていた私がいたことを改めて思い出して、う~む、、、という感じでした。苦笑

あ、57期のみんなには転職と引越しのお知らせハガキを差し上げてるかと思うんですが、
わたし誠明辞めて、民間の母子生活支援施設(元・母子寮ね)に勤めて2年目になります。

1年目は本当にしんどくて今年で辞めようって何度も思ったけど何とか続けて、一応今のところは3年目も続ける予定です。

1年目と2年目とで仕事というか母子施設に対する捉え方(施設の役割とか、施設に対する期待などなど)が自分の中で変化しているんだけど、今感じてることは、女子教護の大切さです。お母さんになる前にちゃんと大事にされてほしいし、必要な教育を受けてほしいって思います。
お母さんになってしまうと、子どものために「母として」が日々求められるわけで、傷ついた自分のためのケアがなされてないお母さんにとっては育児がすごく負担になってしまうのね…
私は何がしたくてここにいるんだろう、子どもにとっての“しあわせ”って何だろう、って日々考えちゃいます。
来年3年目に入ったら、また少し違った見え方ができるかもしれないけどね☆

あーまた話が長くなった、ごめん!笑

そんなわけで、おかげさまでマーチはおかげさまで健康にしています。
どうか、みんなも体に気をつけて元気でいてください。
そして、また会いたいです。

 Merry Christmas! and a Happy new year!!

来年も、よろしくね。
 

49日を過ぎて

 投稿者:こくぶっち  投稿日:2011年 4月30日(土)14時13分31秒
  お久しぶりです。

震災の日から49日が過ぎました。
静岡ではやはり、今後予想される東海大地震のことが、誰の胸にも今更のように湧き上がってきたと思います。静岡にも原発はあるので、今揺れています。

あの地震のすぐあと、私が住む富士宮も震度6強の地震に見舞われました。
私は勤務で施設にいたのですが、母親が一人家にいたので、連絡が取れない間は不安でしたね。翌日家に帰った時の、室内の惨劇にはため息が出るばかりでしたが、とはいえ家屋に被害もなく、やはり地震自体には、かなりの耐久性があるのだろうと、感じられました。
今回の東北沖は、やはり津波被害ですね…。
私もちょうど気仙沼や宮古地域など車で走ったことがあり、街並みを知っているだけに、テレビから流れてくる映像には息をのみました。


また、あの地震から1週間ほど前に、東京での研修で知り合いになったさわらび学園の養成所の先輩と、飲んで笑って別れた後であっただけに、なんというか、無常を感じました。
幸い、先輩にもさわらびさんも特に大きな被害もなく皆無事、ということで、ほっとしました。


今回の震災で阪神淡路の時のように、震災孤児が出るのではと懸念していましたが、幸いほとんど親戚の方に引き取られることができた、という話ですね。


先日うちの法人でも、物資をバスに乗せ、石巻市にある保育園まで届けてきました。
現地での映像もみましたが、復興は遅々として進まず…といった状況のようでした。
今後も現地への直接の支援を行っていくということで、國分も連れて行っていただけるようです。現地の様子を、しっかりと目に・心にやきつけてこようと思ってます。


ちなみに、こちらの地震当日、皆を避難させる中で、高校生の女子が1名逆に居室に籠ってしまいました。東北の地震があった後で「私は安らかに眠って死にたいから、地震が起きても絶対起こさないでね!」と冗談交じりで言っていた子ではあったんですが…実際の地震にも逃げようとしないとは…正直肝が冷えました。
地震が起きた時、特に夜間は職員2名で50人の子供を逃がさなければならない状況で、この子を助けられるのだろうかと…。
今回は揺れがほとんど収まっていたので、様子を見る程度で済みましたが、本当に「その時」が来た時その子はどうするのか、本当に分かりません。私が「その時」の職員であったら、自分はどうするのか…
未だに頭を悩ませ続けています。


とにもかくにも、私たちは、今できることを一つ一つこなしていくしかないですよね!
みんな頑張ろう!!

 

おお!

 投稿者:とろぶ  投稿日:2011年 4月24日(日)13時09分46秒
  超久しぶりに覗きに来ました。
みんな無事かね?

きぬ川は震度6強でめちゃくちゃ揺れたけど、何とか大丈夫でした。
地震から1ヶ月以上も経ち、
ひとときのガソリンや水不足、計画停電も殆ど影響無くなりましたね。

先日宮城の気仙沼に児童福祉司として震災派遣に出され、行ってきました。
海岸地域の避難所を回って震災孤児を捜すという仕事です。
津波の地域はほんまにひどい。
もし「空襲の後の焼け野原です」と嘘の説明をされても素直に信じてしまうような、
異様な光景の中の悪路を何時間も運転しました。

日本全体が放射能の恐怖や電力不足、経済停滞に直面して大変なときだけど、
津波の地域に比べたら私たちは100倍平和で幸せだ。

頑張ろう日本!(CMぽく)


こんな時だからこそ、何かやったらー?同期会とか? (と無茶ぶりしてみる)
 

物資不足

 投稿者:富野家  投稿日:2011年 3月17日(木)00時22分11秒
  スーパーから米やパン、牛乳、トイレットペーパーなど、生活必需品が姿を消しました。
今あるものを節約して使っていますが、今後いつ手に入るのか、わからない状況です。
灯油の配給もストップになりました。
計画停電の際にろうそくや懐中電灯を使っていますが、それもあとわずかの状態です。、
電気、水道、灯油・・・節約生活しています。入浴も二日に一度になりました。
ガソリンもなかなか手に入りません。

みなさんのところはどうですか?


自分ができることは・・・と考えると、無力さでいっぱいです。
一刻も早く復興することを祈ります。





 

大丈夫です。

 投稿者:あらき  投稿日:2011年 3月12日(土)19時18分12秒
   北海道の道東は大丈夫でした。ただ、北海道はとても広いので、函館方面や道南近辺は水害もかなりひどかったそうです。
 家庭学校のある留岡はオホーツク海の近くですが、幸い地震の影響はありませんでした。
 関東近辺、東北近辺の人はどうでしょうか。
 心配しています。
 

無事です

 投稿者:富野家  投稿日:2011年 3月12日(土)13時29分52秒
  寮長⇒茶話会の真っ最中で、体育館ステージで寮長たちの出し物のスタンバイ中でした。
寮母⇒特別指導の子二人と寮でのんびりしてました。

最初は机の下に入りましたが、どんどん揺れが大きくなるので大慌てで外に出て、
グラウンドに避難しました。
かなり揺れてガタガタと音もすごかったです。
プールの水があふれて10㎝くらい減っていました。
停電になってしまったので、夜はろうそくで過ごしました。
非常用の石油ストーブが一つ配布されましたが、夜は寒かったです。
夕飯も非常食でしたが、ガスは使えたのでお湯を沸かして
夜のおやつにチキンラーメン食べました。

ろうそくも電池も常備していなかったので、急いで買いに出たのですが、
停電中の近隣の店はどこも閉まってるし、開いてる店に入っても
「電池?売り切れー」って言われるし、焦りましたー!
でもちょっとだけ遠くに行ったら停電していなかったので
普通に店も開いていて、買い物もできました。

埼学ではちょーーーど昨年から今年にかけて、耐震工事を実施したので、
特に建物の被害はありませんでした。
でも近所では消防車のサイレンがひっきりなしに鳴っていました。

電気は深夜には復旧したので現在は特に不自由なく生活できています。

それにしても何が困ったかって、情報源がないことでした。
携帯でなんとか「宮城沖」らしいことはわかりましたが、
テレビも電話もない状況に不安でした。
電気がないと人は何もできないんですねぇ。

生徒はろうそくの火をみてボーっとしてました。
妙子先生の施設で「ファイアーセラピー」なるものを利用していましたが、
それに近い状態だったのでしょうか・・・。

12日の今日の朝方までは余震も断続的に感じましたが、昼すぎの現在では
揺れを感じることはありません。

まだ一応、非常時にそなえて準備はしておこうと思います。
 

安否確認

 投稿者:つくいメール  投稿日:2011年 3月11日(金)22時35分49秒
  関係者の皆様ご無事ですか。知らせくれたらありがたいです。

大阪は特に何もありません。
情報お願いします。
 

どうぞ!

 投稿者:あらき  投稿日:2010年12月28日(火)18時30分18秒
  なっちゃんへ。
閲覧してくれてどうもありがとう!
siteは基本的に、学校の公式siteなので、年が明けたら「家庭学校」で検索できるようにしていくつもりです。
意見や感想はどんどん寄せてくれるとありがたいです。
ただ、それらについては、基本的に僕以外の職員が受け付けるシステムになっています。
もちろん後で、僕も見ます。
よろしくお願いします。
 

レンタル掲示板
/12